農のかたち〜私流〜

地域の仲間たちと 花の産地確立へ

二戸市でリンドウ34a、シャクヤク4.5aを作付けする富美子さん。長年、両親のリンドウ栽培を手伝ってきたが、令和5年に親元就農し自らの経営を始めた。今まで見えなかった難しさもあるが、花の生産にやりがいを感じている。仲間たちと力を合わせ、品質の良い花を出荷することで花の産地確立に向けて歩みを進めている。

好きではなかった農業

実家は野菜の種などを生産する農家で、小さい頃から農作業に駆り出されていた。「小さい頃から手伝わされていたので農業は好きではなかった」と当時を話す。そんなこともあり、きれいな仕事に憧れるようになっていた。理美容関係の仕事に興味をもった富美子さんは、高校卒業後に地元の理容店に就職し、通信教育で資格も取得した。

リンドウ栽培のようす

憧れていた業種で働いていたが、子どもが生まれたことをきっかけに、22歳から両親のリンドウ栽培を手伝いながら子育てをする生活が始まった。主な作業は父がやり、芽かきや収穫、調整などの作業をしていた。「時間に融通が利くので働いていたが、楽しいとは感じていなかった」と苦笑いする。生活していくための仕事と割り切り、リンドウ栽培の手伝いを続けていった。

リンドウ栽培のようす

しかし、令和4年になり父から農薬散布や畑作りをやってくれないかと切り出された。「両親もいつまでも若くないと、その時に感じた」と話し、将来のことを考え始めるようになった。そして、令和5年に親元就農し、リンドウ12a、シャクヤク4.5aの作付けで農家として歩み始めた。

まわりの環境に感謝

就農してからは主体的に動いたものの「長年、手伝ってきたので大丈夫だと思っていたが、実際にやってみると分からないことばかり。甘く考えていた」と語る。しかし、作業経験は豊富だった富美子さんは、指導会にも足を運び、父やJAの担当者に分からないことを教えてもらうことで、今までやってきた作業の意味や必要性を理解できるようになってきた。「今までやっていた作業が、何のためにやるか分かるようになってきて、リンドウ栽培の楽しさも感じるようになった」と話す。

リンドウ栽培のようす

しかし、就農1年目の夏は全国的な酷暑で、父も経験したことのない環境だった。また、品種選定も自分で考えて定植したが思ったように育たなかった。「経験年数は長いが分からないことばかり。人の意見を聞くことの大事さが身に染みた」と反省する。今は分からないことは聞き、失敗を回避することで結果も出てきてやりがいにも繋がっている。

課題も多いスタートだが、就農時に入った「二戸(ニコ)りんどうの会」は、富美子さんにとって大切な存在になっている。地元でリンドウを生産する女性で構成され、自分たちが生産する花をドライフラワーにして作品作りをしている。「年齢層は幅広く、リンドウ農家としても先輩。同じ苦労をしているので年齢の壁を越えて相談できる環境は、心の支えになっている」と笑顔を見せる。一緒に市場の視察にも行き、花業界の知見を広げる機会にもつながっている。

全国的に後継者不足が課題とされている中、この地域では次世代の生産者も増えてきている。「同年代の生産者がいることは心強い。この仲間たちと力を合わせて品質の良い花を生産し、花の産地としての存在感を上げていきたい」と目を輝かせる。

リンドウ栽培のようす

農業が嫌いだった富美子さん。今は一人前の農家としての自立を目指しながらも、地域農業の未来も視野に農家として歩みを進めている。

就農5年目でリンドウ45aの作付けを計画し、安定した収入を得られるような経営を目指しています。消費者ニーズにも意識を向けて、JAと相談しながら効率の良い品種選定と作付けを進めています。

プロフィール

山本 富美子

山本 富美子 やまもと とみこ さん

4月に生まれた孫の成長が楽しみ。大好きなお酒をエネルギ―に、まだまだ頑張っていきます。

※広報誌「夢郷」 2025年6月号掲載時の情報です。掲載情報が変更となっている場合がございます。