がんばれ、担い手!

和牛繁殖一本で

牛のいる生活

岩泉町で和牛農家を目指し、地域おこし協力隊として畜産の知識を高めている良平さん。子どもの頃から夢見ていた牛飼いを目指し、日々奮闘している。
実家は農家ではなかったが、父が町の育成牧場の管理を仕事とし、近所の親戚は和牛繁殖農家、母方の祖父母は酪農家という環境で育っていた。良平さんは毎日のように親戚の牛舎に足を運び牛の世話をしていた。休みの日は祖父母の家に行って、泊まりながら酪農の仕事を手伝っていた。「物心がついた頃には牛は身近にいる存在でした」と当時を話す。
中学まで牛の世話など手伝いをする生活をしてきた良平さんは、いつしか牛に関わる仕事をしたいという気持ちが芽生えていた。将来のことを考え、牛の知識を学ぶため盛岡農業高校へ進学した。

牛の世話をする工藤さんの様子写真

高校に進み色々な人と出会ったが、人生を大きく変える出会いもあった。それは、子どもの頃によく祖父と見ていた相撲だった。相撲部に入部した良平さんだが、始めは特別好きという気持ちはなかった。顧問が実習の先生ということもあり続けていたが、2年生の時の新人戦で初めて勝利した。この時から相撲がおもしろくなり、全国大会に出場するほどに。「相撲の形になってきて、負けてもやりがいを感じるようになっていた」と話す。

牛の世話をする工藤さんの様子写真

高校卒業を前に、牛の仕事を考えていた良平さんだが、相撲を続けたいという気持ちも強くなっていた。そして、高校卒業後に相撲部屋へ入門する道を選択した。「牛の仕事をしたい気持ちは変わっていなかったが、相撲は若い時しかできない」と、当時の気持ちを話す。

力士の心の中

高校卒業後、千葉県にある佐渡ケ嶽部屋に入門した良平さん。厳しい稽古を重ね琴力泉の四股名で幕下まで昇進した。「巡業で全国各地をまわり、地元に居たら会えないような人とも出会うなど貴重な経験ができた」と話す。相撲と真剣に向き合う良平さんだが、その心の中には、いつかは地元に戻り牛をやりたいという気持ちがあった。「ずっと牛への思いはあったので、意識的に消費者側の意見を聞いていた」と話す。子どもの頃から生産側にいた良平さんにとって、消費者が感じていることを知ることができる貴重な経験にもなっていた。
そして、力士として10年になる良平さんは自身のケガもあり、地元に戻り牛飼いになることを決意し令和4年春に地元に戻ってきた。

トラクターを運転する工藤さんの様子写真

地域の人に支えられながら

地元に戻るにあたり、知り合いから地域おこし協力隊があるということを聞いた。どこかの農場へ就職する道もあったが、将来的に地元での独立も考えていた。また、兄が7年前に酪農家として独立していたので、協力隊として経験を積み和牛繁殖農家の道を目指すことにした。
「今は協力隊として、地域の農家さんの手伝いをしながら学んでいます。今はまだ経験は少ないが教えてくれる人が多いので心強い」と話す。また、身近な人たちが新規で始めていることも良平さんの励みにもなっている。
2年後の和牛繁殖農家になっている姿を想像しながら、相撲で培った精神で一日一日を大切にし、歩みを進めている。

トラクターを運転する工藤さんの様子写真

プロフィール

工藤 良平

工藤 良平 くどう りょうへい さん

「地域の先輩農家に教わっていくことで、将来的には地域の畜産を盛り上げていきたい」と笑顔で話す良平さん。

※広報誌「夢郷」 2023年1月号掲載時の情報です。掲載情報が変更となっている場合がございます。