がんばれ、担い手!

リンゴを起点にした広がりを

海外を視野に

岩手県北部に位置する二戸市で、リンゴを生産する弘樹さん。高校生の時から実家を離れて暮らしていたが令和2年の春に実家に戻り、両親と3.3haに広がる園地でリンゴの栽培に汗を流している。

「若い頃は、視野を広げるためにも海外で働くことに憧れていました」と当時を話す弘樹さん。中学卒業後は実家を離れ高校生活を送り、その後、県外の大学へと進学した。スポーツが好きで高校時代は野球に、大学時代はラグビーに没頭していた。大学から始めたラグビーにのめり込み、1年間休学しラグビーの本場であるニュージーランドへ渡り、地元の大学に通いながらクラブチームでプレーもしていた。

牛の世話をする和生さんの様子写真

大学卒業後は、京都にある種苗会社に就職した弘樹さん。「大学で学んだ培養技術を生かせる仕事と、海外での勤務の可能性にも期待していた」と話す。海外での勤務はなかったが、本社のある京都、仙台を起点に農家を飛び回っていた。

2度の転機

種苗会社に勤め仙台にいた時、東日本大震災を経験した。「今までに経験したことのない未曾有の災害で立ち止まっている人を目の当たりにした。前に進むためにも、目の前の問題の解決策を見いだしたいという思いがあった」と当時を振り返る。自分を鼓舞する気持ちもあったが、未来のある子どもたちと一緒に考えていくため、働きながら教員免許を取得した。宮城県内の小学校で教師として、子どもたちと向かい合ってきた。

牛の世話をする和生さんの様子写真

教員として働く傍ら、実家のリンゴの収穫時期は実家に戻って収穫を手伝っていた弘樹さん。離れて暮らしているからこそ両親の変化にも気付いていた。「両親も年を取り、いつまでもリンゴ作りができないのではと感じるようになっていた。実家に戻りリンゴ農家を継ごうという気持ちがあることを仙台に住む妻と幾度となく話し合い、応援してもらえるようになりました」と笑顔をみせる。3人の子どもたちは学校もあるので卒業までは単身で実家に戻ることにした。令和2年の春、リンゴ農家として新たな人生のスタートを迎えた。

地元の仲間と次の世代へ

初めは両親に聞きながらの作業だったが、効率のよい作業を意識する弘樹さんは「今までの習慣だと思うが、変えること、捨てることも必要。今やるべき事は今やる。りんごの『今』、働く人たちの『今』をよく考え、仕事の段取りをいかにうまくやるかを考えている。これからもどんどん変えていきます」と話す。一人でできることには限界があり、無理をし過ぎることでの健康面も意識している。そして、休む時間がなければ考える時間も作れないと考えている。「自分が住む地域は、リンゴ栽培に適している。今後もリンゴ産地として続けていくためにも、リンゴを売って終わるのではなく、農業をすることの価値、育てたリンゴを食べたり使ったりする人など、みんなが幸せになってもらいたい。そして、リンゴを通じた仲間づくりができればと考えています」と話す。「できない」と言わずに考え、前向きな言葉を選んで使う弘樹さん。「考える時間」を大切にし、リンゴ農家として産地の将来に真剣に向き合い始めている。

酪農の将来について話す和生さんの写真

プロフィール

近藤 弘樹

近藤 弘樹 こんどう ひろき さん

2019年にはラグビーワールドカップを会場で観戦するほどスポーツ好きで、時間をみつけては体を動かしている弘樹さん。

※広報誌「夢郷」 2022年12月号掲載時の情報です。掲載情報が変更となっている場合がございます。