県北部の九戸村で水稲16 haを作付けする賢治さん。「いわてっこ」「あきたこまち」と飼料用米を組み合わせた作付けに加え、令和8年度は県オリジナル水稲品種「白銀のひかり」を3.2haに作付けする。令和7年度にJA新いわて二戸地域白銀のひかり栽培研究会の会長に就任し試験圃場として栽培を始めた。食味の良さや栽培など「白銀のひかり」の地域適正に手応えを感じている。
賢治さんの実家では父が米作りをしていたが、農業に興味を持つこともなかった。学校卒業後は一般企業に就職し、東京でトラックの運転手として働いていた。何の違和感もなく、このまま東京で働き、暮らしていくのだろうと当時は考えていた。しかし、20代後半になると、父から帰って来ないかという話を度々されていた。「しばらくは話半分で聞き、回答を濁していた」と話す。数年間、そんなやりとりが繰り返されていたが、30歳を過ぎた頃に、ふと「帰るか!」という気持ちになったと言う。

「地元に帰るということは農業を継ぐということだったが、なぜ、そう思ったかは今でも分からない」と言う。32歳の春に地元に戻り、父の元で農業を始めることになった。
農業に興味もなく経験もない賢治さん。一年目は、父に指示されたことをこなすので精一杯だった。田植えやコンバインでの稲刈りなど、今まで経験したことのない日々だった。2年目には新規就農し、本気で農業と向き合おうとしていた。しかし、田植えも忙しいころに父が亡くなった。「急なことで大変だったが、農業を教えてくれる父がいなくなったことにも苦労した」と話す。農業は1年しかやっておらず、分からないことばかり。親戚や周りの人に聞きながら見様見真似で作業はなんとかこなしたものの順調ではなかった。

「苗づくりでは苗を焼いたり、除草剤のタイミングも分からず雑草だらけになることもあった。それなりにできたのかなと感じたのは就農から3年目だった」と話す。4年目で、作業日程や除草のタイミングを見定め、収量を確保できるようになってきた。一方、少しずつ面積の拡大も進め、一人でどこまでできるかという気持ちも持っていた。
就農当時の5haから8haまで拡大を進めてきた賢治さん。7年目の令和2年に女性一人を雇用することになった。子育てをしながらということで、働き方に配慮している。反面、大型特殊免許を取得してもらい、現在では農繁期はトラクターのオペレーターとしても活躍している。「作付けが16haまで拡大できているのも従業員の活躍のおかげ、感謝している。今後も雇用は考えていきたい」と話す。
また、「白銀のひかり」は令和7年から一般販売が始まり、5月14日には達増拓也知事による田植えも行われた。「白銀のひかり」について賢治さんは「倒伏性に強く収量も確保でき、この地域に合っている。粒も白くて大きく食味も良い。ブランド米としてしっかり育てていきたい」と話す。

元々は農業に興味がなかった賢治さんだが、「やると決めて始めた農業。やるからには!」という気持ちを持ち13年目を迎えた。今の心境については「行ける所までやってやろう!」と、未知の可能性を追求していく。そんな中でも、経営者として生活できることを念頭に、ブランド米「白銀のひかり」が加わったことで、雇用、規模拡大などを模索している。そんな農家人生は、十数年前の、ふと「帰るか!」と思った時から始まっている。
令和8年5月14日、賢治さんの圃場で行われた達増知事の田植えには多くの関係者も参加。達増知事は「金色の風、銀河のしずくに続くブランド米として、県内外に広くPRしていくので頑張って生産してほしい」と激励しました。賢治さんは「稲作に興味を持っていただき、生産者としてうれしい」と話し、今後はブランド米として地元の学校給食での利用に向けても取り組みを進めています。
昔から車イジリが好きだったこともあり、農業機械も車同様に大事に使っています。
※広報誌「夢郷」 2026年6月号掲載時の情報です。掲載情報が変更となっている場合がございます。