八幡平市で、両親とキャベツやダイコンなどの野菜を5ha、水稲5haを作付けする輝さん。子どもの頃から両親を手伝い、当時は「手伝わされていた」と感じていた農業だったが、令和3年に家元就農し現在は天職と感じている。自分の仕事の道筋を作ってくれた両親に感謝をしつつ、将来の経営についても夢を描き始めている。
農家の長男として育った輝さん。両親を手伝うことが当たり前のようになっていた。小学校からサッカーのスポーツ少年団に入り手伝う頻度は減ったものの、練習が休みの日は農作業をする日が続いていた。当時は、これが普通と感じていた輝さんだが、まわりの同級生が言う家の手伝いは「皿洗い」や「風呂掃除」だった。
「ずっと続いていたので、まわりとの違いがその時に分かった」と苦笑いする。しょうがないか!という気持ちにはなったが、「手伝わされていた」という感覚は持っていた。
そんな環境で育ってきたが、農業を仕事として考え始めたのは、中学生の時だった。「進学する上で、将来なりたい仕事を決めて高校を選んだほうが良いと言われた」と当時を話す。地元の高校に進んだが、特別やりたい事もなかった輝さんは「就職しなくても家の農業がある」という気持ちに気付いた。岩手県立農業大学校に進み、野菜の栽培を学び資格なども取得した。しかし、大きな学びを感じることも少なく実習も淡々とこなしていた。「得意なことはないけど、苦手なこともない」と話す輝さん。小さい頃から両親を手伝う中で、農業をやるスキルが自然と身についていたようだ。そして「卒業後は1回は就職しろ」と親に言われ、農業関係の就職先を探し、グローバルGAPを取得する県内の農業法人へ就職した。
就職先は認証GAPを取得していることもあり「GAPをやってみて、自分も相手も確かに安全だと感じた」と話す。また、作業工程の管理も担当し、効率の良い作業のやり方も学んだ。「始めは苦労したが、同僚は文句を言わずアドバイスをくれた」と話し、従業員の人の良さを実感していた。環境も良く、ずっといても良いと感じていたが、3年目の秋頃、両親に来年から作付けを半分にしたいと打ち明けられた。この時、実家に戻ろうと決心し、令和3年の春から、実家で農業を始めた。
戻ると決めた頃から無人ヘリの免許、ドローンや米検査員の資格の取得やアグリフロンティアスクールに通った。「資格取得など机での仕事が多くて大変だった」と話す輝さん。今は、野菜や米を生産しながら、地元のヘリ防除組合や米検査もこなしている。令和5年度の岩手県JA農産物検定会では最優秀賞に輝き、全国農産物検定会にも出場した。
手伝わされていたと感じていた農業も体に染みつき、今は農作業が好きで天職になっているようだ。将来については「楽しく農業をしたい」と話す。3年間働いた農業法人での経験が、自らの成長や考えにも影響を与えている。「たくさんの人で農作業をするのが好き。将来は人を雇用して農業をしたい。そのためにも、数字を意識した経営も学んでいかなくては」と笑顔を見せる。令和7年から新たに九条ネギの栽培も始めている。
「子どもの頃はイヤイヤやっていた農業だが、今は天職だと感じている。反面、親が農業をしていなかったら、今、何をやっていたのだろう」と話す。両親に感謝の気持ちを持ちながら、未来への青写真を描き始めている。
現在は両親とパートとの少数での農作業。一つの作業に片寄らず、適材適所での作業で効率化を図っています。以前勤めていた農業法人で学んだ、人の動かし方を実践しています。将来的に作付けする品目も見定めるなか、現在の品目と相性の良い九条ネギの栽培も始めています。
小学生から始めたサッカーは今も続け、好きな釣りも今年初めての船で鯛釣りに挑戦しました。
※広報誌「夢郷」 2025年9月号掲載時の情報です。掲載情報が変更となっている場合がございます。