農のかたち〜私流〜

農業を続ける そのための農業

八幡平市でミニトマト16a(ハウス6棟)、水稲16ha、もち麦50a、野菜の苗などを生産する佑史さん。妻と母との少ない労働力で作業をこなしている。ミニトマトをメインに生産していたが、時代とともに水稲の作付けが拡大している。作業時間を抑えて面積をこなすため大型のコンバインの導入や、将来を見据えて乾田直播栽培にも2年前から取り組み始めている。

努力して成果を出す

小さい頃から農業を手伝っていた佑史さんは小学校高学年の頃には、将来は農業をやると話していた。「親から継いでほしいと言われたことはなかったが、何となく農業が好きだった」と話す。農作業を手伝いお小遣いをもらうことはあったが、小学6年生の時「ウォークマン」がどうしても欲しくて、育苗ハウスの一角でミニトマトを栽培した。自分で育てて収穫しパックに詰めて、親が産直に出す時に一緒に出荷してもらった。「自分で育てた野菜が出荷して売れるとお金になるという経験が、仕事としても魅力を感じるきっかけになった」と話す。

農場の様子

高校卒業後は「東京で暮らしてみたい」という好奇心から東京で就職した。会社員として働く中で、何かが違うという気持ちも芽生えた。「他の人が決めた事をこなすだけの仕事に違和感があった」と話す。子どもの頃から農業に触れることで、自分で決めて行動し成果が出るとうサイクルが身についていた。

農業用重機

やりたい事がはっきりした佑史さんは、1年勤めた会社を退職し実家に戻り農業を手伝い、その1年後に農業大学校に入り野菜栽培を学び、23歳の時に本格的に就農した。

農業を継続するために

就農当時は父が有機栽培を中心に経営していた。直売所への出荷がメインで、袋詰めや配達などに時間が取られ大事な栽培管理に手が回らなかった。「当時は有機栽培で良いものを作れば高く買ってくれるだろうという漠然とした思いでやっていた」と話す。しかし生活は楽ではなく、アルバイトをしてつないだ時期もあった。そこで、20代後半には有機栽培をやめることにした。

ミニトマト

少量他品目の作付けからミニトマト栽培に絞り、すべてJAに出荷するようにした。「管理に集中できることで収量が上がり経営も安定するようになった」と話す。そして、農業は大変なだけではなく、ちゃんと稼いでいる姿を子どもたちに見せてきた。自分が苦労した分、やりたい事はやらせたいという思いも強かった。

農業を続ける中で佑史さんは、自分で納得して決め、自分の考えが加味されなければ続けて行けないという気持ちが強い。「基本の積み重ねが一番大事だが、好きな農業を続けていくためには新しいチャレンジも必要」と話し、良さそうと思ったことはやってみるということを繰り返してきた。

農場の様子

「気候も昔と今は違う。まずはやってみて、良かったら人にも教える」と話す。
一方、好きな農業を続けるために地域農業の維持の必要性も感じている。「今は鳥獣被害や水問題など課題もあり、米をやめれば畑もダメになる可能性がある。同じことを続けるために、同じことだけではダメな時代だと感じる」と話す。少ない労働力で作業をこなすために密苗も早くに導入し、今は大型コンバインの導入や、乾田直播栽培にも取り組んでいる。将来、耕作放棄地を減らすため、できることから取り組み始めている。自分の努力で成果が出る、その好きになった農業を続けていくため無駄と感じることにも目を背けず向き合っている。

年々水田の作付けが増え、現在は7品種を栽培しています。直播栽培に適した品種の導入や岩手県オリジナル水稲品種「白銀のひかり」を作付けし、現在は八幡平稲作生産部会白銀のひかり栽培研究会の会長を務めています。農業が好きでやっていますが、家族のことを最優先し、子どもの吹奏楽のコンクールの追っかけや送り迎えなどは欠かせない日課になっています。

プロフィール

古川 佑史

古川 佑史 ふるかわ ゆうじ さん

子どもたちの追っかけが一番の楽しみ。時間を作れるのも農業の魅力です。

※広報誌「夢郷」 2026年9月号掲載時の情報です。掲載情報が変更となっている場合がございます。