未来農業創造人

農業をもっと面白くしたい

福祉から農業へ、転機は30歳

稲刈りも終盤を迎え、黄金色の田んぼが減っていくのに反比例して山々が赤や黄色に装い始める。山伏峠を越えて沢内地区に入ると、里山が紅葉の屏風のように一面、錦色に輝いていた。

この美しい自然の中で育った髙橋真悟さんが、今回の未来農業創造人。福祉の分野から農業へと転身を図り、今は着実に大地に根を広げているが、高校を卒業する時点で髙橋さんの胸には「農業の"の"の字もなかった」と言う。

髙橋真悟さん
髙橋真悟さん

高齢社会が進行し福祉の担い手が不足する中、大学で社会福祉を学んだ髙橋さんは、やりがいのある仕事と迷うことなく医療福祉の道を選び、仙台で就職した。食品の安全性を脅かす様々な問題が起こり、疑念が湧いたのは結婚して子供が生まれた頃だった。「子供に何を食べさせたらいいんだろう。田舎なら自分で作ることができるけど、都会では全て買わなければならない。安全安心な食材を提供できるのは農業ではないか」と気付いたという。

「仕事も順調で生活の基盤ができていた仙台での暮らしを投げ打って。反対もありましたが、我ながら思い切った決断でした」と髙橋さんは笑う。実家は農業を営んでいたとは言え、ゼロからの出発だった髙橋さんは機械の操作もままならず、しばらくは両親を師匠に修行の身。「1年やると翌年の課題が見えてきて、今でもずっと見習いというスタンスですよ」と謙虚に話す。

周辺の遊休農地の活用を進めていた両親は、髙橋さんが就農したことでさらに規模を広げ、現在は水稲33ha、大豆10ha、そば18ha、リンドウ50a、作業受託が10haの経営内容である。

長靴を履かない農業も格好いい

順調に規模を拡大してきた平成28年、沢内太田地区の4世帯で農事組合法人「アースコネクト」を設立。髙橋さんは「この先のことを考えると家族経営、個人経営だと預かっている土地の維持管理にも限度が出てくる。1人より複数のほうがやれることも広がるし、社会的にも信用度が上がり販売や商品開発も取組みやすくなる」と、法人化した利点を挙げる。

休耕田を蘇らせ、作付2年目の圃場も実りの時を迎えた
休耕田を蘇らせ、作付2年目の圃場も実りの時を迎えた

代表のお父さんを含め60代が3人、30代が4人のメンバーで構成しており、作目ごとに班長を決めている。 「1人だと全部自分でやらなければならないが、仲間と分担することで作目をちゃんと見る余裕ができる」と言い、「メンバーとは普段からよく話もするし、研修も一緒に行き、お酒も飲む」と同僚感覚だが「社員というよりはみんなが取締役。責任も等分に分担する」と、1人1人が経営者という意識を持っている。

就農して9年、今は順調でも課題は潜在していると髙橋さんは先を見る。「10年後を考えれば、離農者が増えていくのが目に見えている。その農地を預かってくれと言われても、引き受けられる面積には限度があり、条件の悪い土地は手放さざるを得ない。水利などメンテナンスをしなければならない圃場も多く、それは西和賀全体の課題だと思います」と話す。

地域プロジェクトで「ユキノチカラ米」を商品化
地域プロジェクトで「ユキノチカラ米」を商品化

平成28年は、髙橋さんにとってもう1つ役割が増した年でもあった。岩手県農協青年組織協議会の会長に就任したのだ。岩手県民は情報発信もPRも下手だと言われる中で「ものを言える青年部」を目標に掲げている。「僕はね、農業を面白くしたいんです。長靴を履かない農業も格好いいし、遊び心を取り入れて若い人が楽しめる農業にしていけば農業に対する価値観も変わると思う」と髙橋さん。故郷の大地に根差し、農業に真摯に向き合いながら岩手の農業青年をけん引していく若き勇姿にエールを送りたい。

プロフィール

髙橋 真悟さん

1979年西和賀町沢内地区生まれ。西和賀高校から岩手県立大学社会福祉学部に進学。 卒業後、仙台市で7年間ケースワーカー、介護職員など医療関係の仕事に従事。 2009年故郷に戻り、就農。2016年、父や仲間と農事組合法人「アースコネクト」を設立し、現在は理事。 同年より岩手県農協青年組織協議会会長を務めている。

JAへの要望

JAは若い人が多いので話をしやすく、一緒に活動していても楽しい。県内外に赴く機会も多く、見えてきたのは、 JAは営農部分が弱いのではないかということ。専門的な知識や技術を教えてほしいと思うとき、県の普及員は現場にすぐ来てくれ、技術指導もしてくれます。信用と営農が情報交換を密にして、チームで動ける環境にしてほしいと思います。

JAいわて花巻 沢内支店

住所
〒029-5614
和賀郡西和賀町沢内字太田2‐81‐1
電話番号
0197-85-3211
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