日本人の食卓に欠かせない野菜となっているキャベツは、明治時代に日本へやってきた西洋野菜で、当時は「甘藍(かんらん)」と呼ばれていました。岩手県では、県都盛岡を中心に、いち早く「甘藍」の栽培を始め、人々はその丸い形状に親しみを込めて「玉菜(たまな)」と呼び、丹誠込めて育ててきました。
明治37年(1904)には、盛岡市近郊において、岩手の風土に適した「南部甘藍」が育成され、鉄道を利用した東京出荷も試みられるようになりました。
―――以来、100年余り。岩手の大地に生きる人々は、キャベツと深い関わりを持ちながら、歩みを共にしてきました。