田んぼの一年
玉澤 歩凪乃
一関市立藤沢小学校6年
春。まだまだ寒い春の田んぼは、どろどろの土で、田んぼというより畑みたい。しばらくたつと、水が張られて湖のようにきらきら輝く。その後、苗が植えられる。その様子は、湖のようせいのよう。でも、湖のようせいが見られるのは、ほんの少しの間だけ。すぐに、苗は、五月の桜の葉のような美しい緑になる。
夏。ぎらぎらの太陽の下にセミの鳴き声が聞こえる夏の田んぼ。風にふかれて、長くなった稲がゆれる。大きい水田の場合だと、風にふかれた稲が同じ方向にしなっていて、おもしろい。そのうち、稲につぶつぶができてくる。このつぶつぶの正体は、米。白米しか見たことがない人が見たら、「本当にお米なの」って、なると思うけれど、これは未来のお米。
秋。すずしい秋の田んぼは、緑と黄金が混じっている。米の部分は、黄金色。その下は、緑色。この稲を年で言ったら、五十九才かな。人間で言ったら、もうすぐでおじいさん、おばあさんになりますよ、と言う所。だんだん稲が黄金色になって、田んぼは、平泉にある金色堂みたいにきらきら輝いているように見える。岩手の田んぼも世界遺産に登録してほしい。私は、それくらい秋の田んぼが大好き。
冬。稲をかりとられてしまって、さみしそうで、寒そうな田んぼは、豊作の秋の田んぼと同じ物とは思えない。雪が降るまでは、静かでさびしい田んぼだ。雪が降ると、田んぼは、真っ白な世界。田んぼを雪かきする人なんて、あんまりいないし、雪の積もった田んぼの上をわざわざ歩く人もいない。皆の知っている田んぼとは、少し違うかもしれないけれど、これも田んぼを見る時の一つの楽しみかと思った。
こんな感じに、田んぼは、一年中日に日に変化している。良く考えてみれば、田んぼの一年は、人間の一生のようだ。田んぼも人間も変化している。例えば、人間は背が伸びる。田んぼも稲が伸びる。人間も田んぼも同じよう。私は、雪の積もっていない時の、冬の田んぼは、好きじゃない。静かで元気がなくて、とってもさびしそう。だから、好きじゃない。そんな時は、大好きな塩むすびを食べながら、「こうしておいしい塩むすびを食べられるのは、この田んぼが今あるからなんだ。」って、考えたら冬の田んぼだって、決っしてさびしい物じゃないと思えるような気がした。
もうすぐ、秋がやって来る。今年も、私が一年で一番大好きな田んぼの風景がやってくる。黄金色で、沢山の米を実らせた宝庫。宝庫が見られるのは、水田がこんなに身近にある岩手に住んでいるからだ。都会のおばあちゃんの家に行った時、水田は、一つも見なかった。都会って、何でもあると思ってたけれど、田舎にしかない物もあるんだな。お米って、おいしいけれど、その時、その時の風景が見る事のできる田んぼもいいよね。