絆の餅つき
佐々木 亮輔
宮古市立津軽石中学校2年
私の家では、先祖代々米作り農家でした。四年前の台風十号の豪雨では、祖父が精魂込めて育てた田んぼを襲いました。田んぼの被害はひどく元に戻すにはかなりの努力が必要でした。
「もう田んぼはやめる。」
高齢な祖父は残念そうにポツリとつぶやき、仕事を持っている父や母も続ける事が出来なくて、お米を作ることをやめてしまいました。私は、幼い頃から祖父と祖母と共に米作りの手伝いをすることが大好きでした。
米農家であった事もあり、お正月や作物が採れた感謝の日等の節目節目の日には神様や仏様に我が家で収穫したもち米でついてお餅をお供えするのが私の家の古くからのならわしです。
私が生まれこの家に来るまでは、毎年祖父が杵をにぎり祖母が臼の中のお餅を返してお供え餅をついていました。その後、父が祖父の後を引き継いで、毎年十二月三十日に祖母と二人でお正月支度の餅つきをするようになりました。
昨年末、お餅つき準備の時、父が不意に私に、
「亮輔、今年から餅ついてみるか。」
「僕に、出来るかな。」
「大丈夫、俺が臼のお餅を返すから心配しないでやってみろ。」
今まで父がしていた餅つき。何だか父から、一人前に認めてもらった気持ちで嬉しい様な照れくさい様な気持ちでした。初めて握る杵はずっしりと重く、臼のふちを叩かないように気を付けながら精一杯頑張り、時々臼の中のお餅がくっつかない様に父がひっくり返してくれました。
「こっちは、ついたか。」
「あともうちょっとかな。」
臼の中のお餅をまんべんなくつかないと、もち米のつぶつぶとした食感が残ったお餅になるし、水を入れすぎると柔らかすぎるお餅になってしまいます。
「よし、いいぞ。」
大きなボウルに熱々のお餅をへらで取って、入れるとすぐさま祖母や母、妹達がのし板の米粉の上で丸めて形を整えてお供え餅にしています。妹と祖母が、
「お供え餅の大きさはこのくらいでいいの。」
「少々いびつでも神様は喜んでくれるよ。」
大小様々なお供え餅を十三個作り、神様にお供えし、もう一臼分は切り餅にしました。
「亮輔、いっぱい食べろ、うめいぞ。」
翌年の元旦、祖父が私に言ってくれました。それは祖父から私へのねぎらいと最高の褒め言葉に聞こえ、嬉しかったです。今年最初に家族揃って食べる、濃厚で伸びのあるお餅は格別に美味しかったです。
残念ながら私の家では、お米作りを続ける事が出来なくてやめてしまったけれど、お米一粒一粒を作る事に並々ならぬ苦労が詰まっていることの大変さに感謝する気持ちと祖父からバトンを引き継いだ毎年の我が家のならわしの餅つきをこれからも絶やさず私は、守り続けていきたい。
今は、新型コロナウイルスの影響もあり、遠く離れた家族とも手軽にオンラインでコミュニケーションを取れる手段が普及しています。核家族化、生活様式の変化で古くからのしきたりや風習は無くなりつつある社会ですが、私は家族と同じ時間を過ごし、笑ったり思いを通わせたりしながら、支えあって生きていく姿に意義があると思います。
私は祖父がお米作りに全身全霊注いでいた姿勢や気持ち、餅つきを通じての家族の絆は、この先大人になっても決して忘れないと思うし、何にも代えられない私の心の大切な宝物です。