米をつくるということ
佐々木 恵利佳
陸前高田市立米崎小学校6年
六年間歩いた通学路。その途中には、田んぼが広がっている。私は、四季おりおりの田んぼの風景が好きだ。今年の夏は、猛暑続きで、まだ九月上旬だというのに、もう稲は、黄金色。穂先は、こうべをたれている。しかし、この田んぼは、震災の影響がない所。少し海側へ行くと、かつての田んぼはない。
私の住む陸前高田市は、去年大地震と大津波で、建物はもちろん、田や畑まで大きな被害を受けた。一年と半年が経っても、もとあった田んぼは、にごった水と私の背丈ほどの草が生い茂っている。それは、初夏のころのバンザイをしているイネと冬の地割れした田んぼのようだ。複雑な心境である。父は、
「たくさんのがれきや石を取り除き、これでもきれいになったんだ。津波の後は、流された車やこわれた家があり、田んぼには全然見えなかった。」
と話していた。私は、おどろくばかりだ。近所に住むおじさんの田んぼは大きな被害を受け、とてもなげいていた。
「しばらくは、米づくりができない。塩水をかぶってしまい、もとの田んぼにもどるには、はやくて五、六年はかかるだろう。」
と、おじさんは、遠い海の方を見て話した。
「米づくり」は大変だ。私の家にも田んぼがあり、祖父母が作業をしているのでわかっている。五年生の時は、実際に学校で米づくりを体験した。「米づくり」といえば、田植えや稲刈りなど、機械で行う印象が強く、簡単そうである。しかし、手作業も多い。仕上げは、人間の手だ。そして、田んぼの管理も大変な作業の一つだ。特に大変だと思うのは、夏の草刈りだ。暑い中での草刈りを祖父母は汗だくで行っている。顔は、真っ赤だ。私は立っているだけでくらくらしそうだった。秋の稲刈りの後「はせがけ」をする。これを行うことで、機械乾燥よりもずっと甘みが出るそうだ。田んぼのすみの稲を刈り取ること、刈り取った稲をトラックに積みこむこと、稲をはせがけすることは、小さいころから、私が手伝ってきたこと。毎日あたりまえに食べているが、米づくりは、日数と手間がかかっている。でも忘れがちになる。
近所のおじさんは、「米をつくること」をあきらめてはいない。きっと自分が納得できる米づくりがしたいのだと思う。
六年生の社会科で、米づくりの歴史について学習した。始まりは、今から二千五百年も前のこと。その後は、ききん、水不足、冷害などがあった。東北地方は冷害による影響を受けている。しかし、東北人は強い。困難に負けず、米づくりを続けて現在に至っている。
震災前の田んぼが広がる陸前高田市になるには、数年かかる。私ができることといえば、家の米づくりを手伝うこと、米づくりをしようとする人達の心を大切にしていくこと。まずは、五年後の陸前高田市を期待したい。